「シン・〇〇」なるものを求めて

SFのイメージ写真

2016年、庵野秀明監督の特撮映画「シン・ゴジラ」が大ヒットしました。エヴァンゲリオンシリーズで知られるアニメ界の巨匠にして特撮マニアでもある庵野監督が、その作家性を発揮して新たに作り上げたゴジラ像は大きな話題となり、その後2021年には「シン・エヴァンゲリオン劇場版」、2022年に「シン・ウルトラマン」、そして今年は「シン・仮面ライダー」と、「シン・〇〇」という名目で話題作を発表し続けています。これらの作品群を総して「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」と呼ばれています。アメリカでは、アメコミ映画の世界で「マーベル・シネマティック・ユニバース」、「DCユニバース」のような、複数の作品の登場人物が作品を横断して登場する壮大なシリーズがヒットしているのを受けた「ユニバース」という呼称ですが、この、映画会社やアニメ・実写を超えた連携が、今後新たな作品においてクロスオーバーしていくのか、ウルトラマンとゴジラが対決し、仮面ライダーとエヴァが共闘するような作品が観られるのか、これからの展開に妄想が膨らみます。

一方、「シン・ゴジラ」以降、この「シン・〇〇」という言葉が、このような映画の世界とは無関係に、特にビジネス情報界隈で目にすることが日毎に増えている気がします。

2020年には「シン・ニホン」という本がヒットしていましたが、使い方としては、この激しい変化の時代を象徴させていて、「これまでとは大きく考え方を変えなければならない」または「もう我々が思っていたものとは全然違うものになっていると知るべし」といったような、大きな転換を示唆するような使い方が多いようです。

私の観測範囲でも、「シン・百貨店」「シン・ヒットの法則」「シン・富裕層」「シン・総合商社」などがありました。例えば百貨店であれば、百貨店がECとの連動を強化していること、ショールームに徹した”売らない店”などの展開、つまりこれまでの百貨店のイメージや商売のあり方を大きく軌道修正したというダイナミズムを指しているわけですが、他の三つ含め、要するに「イマドキの」と同義、つまり「イマドキの”イマドキの”の言い方」だということです(笑)。

「じゃあ「イマドキの」でええやん」と思うのですが、そこは現代性を出しつつ、しかも上記映画を、どうしても劇場に観に行かずにはすまない世代の人たちを狙い撃ちするには便利な言い回しなのですね。こうして記事にしているわたしも、エヴァンゲリオンのテレビ本放送をリアルタイムで観ており、「シン・〇〇」映画も全て劇場で観ているのですから(笑)。

みなさんもぜひ、身近にある「シン・〇〇」を探してみてください(お若い方の身近にはないかもしれません・笑)。