茶道から考える「慮る」ことの今日的な重要性
先日、撮影のために、ある茶室にお邪魔しました(上の写真はAdobe Fireflyで生成したイメージです。部屋としても和室としてもおかしなところだらけですが、間違い探しだと思ってお楽しみいただければ・笑)。これまで茶室といえばテレビ・映画か博物館などで見る程度の経験しかなかったので、本物の茶室に入るだけでもワクワクしました。
茶室の中は、照明も空調機器も一切ありません。その日は雨も激しく降っており、時折大きな雷も聞こえるほど。しかし、草木や灯籠、石などが濡れて光るお庭に囲まれた静謐な空間の中にいると、普段耳にする雨音や雷の音とは全く違う響きのように思え、茶室に入った瞬間の緊張を解きほぐされるような、心が落ち着いてくる感覚を覚えました。
お茶菓子とお抹茶もいただいたのですが、何しろこちらは茶会のことなど何も知らないど素人。どのように振る舞えば良いのかわからずオドオドしていましたが、茶室を管理されている代表の方から、茶道における作法の意味などをわかりやすく丁寧に教わりながらご馳走になりました。
印象的だったのは、「お茶碗を回す」という、茶道といえば誰もが思い出すあの謎の行為について。
主人がお茶を出す際、茶碗の「正面」をお客さんに向けて出すのだそうです。「茶碗に正面が?」と思ったのですが、確かに茶碗には柄があったり色ムラがあったり、形も正円ではなかったりするので、見る角度によって表情が違います。その表情を主人が見ながら、正面がお客さんの方を向くように回すことが、おもてなしの一つということのようです。
また、それを受け取るお客さんも、正面からそのまま口をつけては、せっかくの良い表情を汚してしまうということで、口を触れる場所をずらすために回すんだそうです。回す角度や左回し、右回しなど、流派によっては決まり事があるのかもしれませんが、それが本来の意味だということでした。
主人がお客さんのことを慮れば、お客さんも主人を慮る。この「お互いに相手を慮る」ことが、茶道の基本なんですよ、とおっしゃっていて、その言葉を聞いた途端、それまでちょっと浮世離れした世界のように思っていた茶の湯の世界が、急に今日的な、力強い考え方であるように思えました。
「お互いに相手を慮る」ことの大切さが、今ほど深く考えなければならない時代はないのではないでしょうか。SNSなどにおける妬み・嫉みによる炎上や、自分にとっての損得勘定だけで行動する人たちの姿が、ネットを介して白日の下に晒される現代は、そのような考えを持つ人たちが表に出るだけでなく、表に出ることに抵抗がなくなってきて、他者への心遣いというものがどんどんないがしろにされている時代のように感じられます。アメリカではSNSのユーザー数は減少傾向にあるようですが、散々言われてきた「SNS疲れ」は、いよいよ「SNSの衰退」へと向かっているのかもしれません。
SNS依存から抜け出した先に、進むべき道はどこにあるのか。なんとなく社会の動きに流されて道を選んでしまう前に「茶道」に寄ってみることは、何か重要な指針を与えてくれるのではないか……茶室の中で、騒がしい世間から離れて雷鳴に耳を傾けながら、そんなことを思いました。