コロナがトリガーに?日本企業にとってオリンピックは「旨みがない」

円盤投げの彫像の背から5輪のシンボルを遠くに見るモノクロ写真

オリンピック・パラリンピックのワールドワイドパートナー契約から、日本企業が全て撤退したことが話題になりました。

協賛金の高騰(1大会あたり150億円ぐらいかかるそうです)や商業化の強まり、そして五輪自体の人気の低下など、さまざまな原因が考えられるようですが、もしかしたら「東京五輪の失敗」が最も大きく足を引っ張ったのではないかという気がします。

コロナ禍真っ最中での開催が余儀なくされた東京オリンピック。緊急事態宣言など、国民全てが身動きが取れなくなった2020年の開催は、流石に無理ということで、2021年に延期されましたが、2021年であっても、沈静化とは程遠く、世間的には外出の規制やマスクの携行は厳しい状態でしたので、体感としては、緊急事態宣言ほどのことはなくても、同等の「動きづらさ」はありました。

その中でのオリンピック開催には、批判も反発も巷に溢れていました。莫大な費用を税金で賄われていることや、無観客で開催するか否か、そしてIOC(国際オリンピック委員会)の強引なやり方は、コロナ前にもいた五輪反対勢に加えて、さらに燃え広がっていた印象があります。

「それでも開催すれば結果的には盛り上がる」のは、最初に行われた東京オリンピックで実証済み。1964年のオリンピックも、開催前は言論人やメディアも批判が多かったようですが、開催後、スポーツ選手たちの活躍にすっかり心を洗われたことで、空気が一変したそうです。しかし今回は、明らかに盛り上がりに欠け、劇場にかけられた河瀬直美監督のドキュメンタリーも、誰も話題にしていませんでした(誰も話題にしていない、という話題にはなっていましたが)。

このことが、日本の多くの人に対して「オリンピックって……」と思わせたことは、あまり軽視すべきことではないと思います。すでに昔ほどの国民的な盛り上がりを生むコンテンツではなくなっている上に、これだけ盛大に水を差されては、そこに150億円の価値があるかどうか、冷静になったとしても不思議ではありません。なにしろ、スポンサーは政府ではなく企業です。国民の空気を敏感に察知するでしょうし、費用対効果も厳しく測ります。パナソニックの主力が今や放送機材ではなくなったことは一因だと思いますが、それ以上に「オリンピックのスポンサーであることが国民の共感を呼ばない」ことに気づかないはずはないでしょう。

ワールドワイドパートナーなのですから、別に日本人がオリンピックに関心がないとしても別に構わないのかもしれませんが、アメリカではより一層関心が下がっているでしょうし、今後のワールドワイドスポンサー候補は中国を中心としたアジア勢に集中しているとの話もあります。つまり「ワールドワイド」というグローバル企業の旨みも、今の日本企業にとってはすっかり薄れてしまったのでしょう。

「オリンピック」や「五輪」という言葉は、スポンサー企業以外は宣伝などで使うことが禁止されています。例えばお菓子メーカーが「人気のお菓子オリンピック」みたいな企画を実行することは許されません。オリンピックのイメージを保持するための戦略だとは思いますが、逆に拡散したり発展するには、非常に重い足枷でもあります。わたしも過去に宣伝ポスターの提案を社内で考えているときに、「これを〇〇オリンピック、みたいな表現にしたら面白いのでは」というアイデアを出してくれた人がいましたが、オリンピックという言葉が使えないので、「運動会」という表現に変えて提案したことがあります(笑)。なんでもかんでもオリンピックとつなげられたら困るという気持ちもわかりますが、オリンピックというものに触れる機会を少なくし過ぎるのもどうかと思いますし、そのことが非常に権威主義的に見えることも、今の時代はデメリットが多い気がします。

今後、オリンピックはどうなっていくのでしょうか。塩野七生著「ローマ人の物語」では、オリンピックは、古代のオリンピア競技会をルーツとしているが、「私は、戦争中の国や敗北した国の選手を排斥する近代オリンピックを、古代のオリンピア競技会の継承者とは認めていない」と書かれていました。

もう一度原点に戻って、権威主義やお金に振り回されない、「平和の祭典」が復活するのなら、わたしもオリンピックの中継を観てみたいなあ……と思うのですが、やはり難しいことなんでしょうね。

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