社会には広告が必要。でも邪魔者扱い。解決方法は?

広告に溢れたニューヨークのタイムズスクエアの写真

各種配信サービスが、次々と広告の導入を始めています。

昨年、Netflixが広告付きのプランを開始し、続いてディズニー+も導入。さらに今年はアマゾンプライムビデオにも、広告が導入されることになるようです。

Netflixが始めるより前から、音楽配信サービスのSpotifyは音声広告・動画広告を始めていましたし、エンタメの配信ビジネスの広告利用が、スタンダードになりつつあるように感じます。

また、エンタメではありませんが、サービス開始当初のGoogleは、広告に依存することに否定的でしたが、現在は広告が収益の8割を占めています。Twitterも広告サービスに重点を置いており、イーロン・マスクによる買収の際にアップルが広告を取りやめたことで戦々恐々としていたことは記憶に新しいです。

一時期、「フリーミアム」という言葉が流行りました。無料でサービスを利用してもらい、より多機能な有料プランを用意することで収益化させる形式のビジネスで、上記のSpotifyや初期の楽天モバイル、その他さまざまなサービスが同じ仕組みでビジネスを行なっています。しかし、Spotifyは無料の場合は広告が出てくるし、楽天モバイルは早々に無料プランを廃止。「30日間無料トライアル」のようなサービスはいまだにたくさんありますが、フリーミアム的なサービスは広告に頼るかやめるか、の二択になってしまったように見受けられます。

結局のところ、社会は広告がなければ回らない、ということなのではないでしょうか。

NetflixにしてもSpotifyにしてもGoogleにしても、はじめは「広告に依存しない」と豪語し、「広告から脱却したネット時代の新ビジネス」のような印象を与えましたが、そうはなりませんでした。現在、Netflix、Spotify、Googleが、しっかりお金をかけて自社広告をやっているのですから、今や彼らこそが大広告主であり、広告の力を最もよく知っていると言っても過言ではないでしょう。

しかし一方で、広告は邪魔者扱いされがちです。「無料で使っていると広告が掲出され、有料プランに移行すれば広告が消える」というサービスも多く、まるで広告閲覧が罰ゲームのようにされています。かく言うわたしも、Spotifyは有料プランを使っていますし、YouTubeの広告には煩わしい思いをさせられています。

広告は必要。でも、見せられると迷惑になる……このギャップを埋めるには、広告の内容を確かなものにすることと、掲出の方法に最大限気を配ることが大切だと思います。特にネット広告にはその配慮がまだまだ足りていない気がします。読み物サイトの記事の横に、動画広告や画像がチカチカと切り替わる広告が入っていると、記事を読む際に集中力が削がれます。動画視聴中に突然CMを挟み込まれれば、誰だって嫌な気分になるでしょう。間違えて押してしまいそうになる場所にリンクがあったり、サイト閲覧中に卑猥なバナーが出てきたり、こちらのコンプレックスや不安に付け入るような内容だったり……と、いかがわしいサイトでもなければ10年前のサイトでもない、アドテクノロジーが進化し、AIが最適化した現在でも、そんな広告が未だに散見されます。

広告は、費用対効果が大事。それは間違いないと思いますが、ネット広告になって効果が数値化されるようになったことが、「効果第一」に拍車をかけ過ぎたのではないでしょうか。広告の役割は、広告主のプロモーションのみにあるのではありません。メディアの存在を維持するための支援でもあり、メディアに触れるエンドユーザーの体験の一部を担う重要な存在でもあるのです。そう考えれば、いち企業のエゴだけにとどまらず、公共の空間の一部をデザインすることになる、ということも忘れてはいけないはずです。

「勝てば官軍」ではない、そして罰ゲームに陥らず、広告主と社会の両方を利する、広告のあるべき姿とは、どのようなものなのでしょうか。それは、社会を「広告まみれ」にすることではないはずです。

わたしたちは、広告主であるクライアントだけでなく、パートナーやつながり合うすべての方々ともに、その道を探求していきたいと思います。

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