「デザイン」とは?「広告」とは?語源を知ることで実体を明らかにする

壇上の人物に注目するイベントスペースに集まった人々の写真

言葉には、不思議な力があります。心を動かされたり、現実にはない情景や音を感じたり、新たなことを記憶に刻まれたり。

あるときはとても便利で役に立つのですが、使い方によっては誰かを傷つけたり追い詰めたり、人を間違った方向に導いたりすることも。SNSでの投稿をきっかけに起こるような悲しい事件を目にするたびに、言葉の持つ力とは、多くの人が思っている以上に大きく、慎重に使う必要があるものだ、ということを考えさせられます。

大きな悲劇に至らないとしても、普段何気なく使っている言葉が本当にそれでいいのか、考え直してみることは大切なことかもしれません。なぜなら、言葉とは実体があるものではなく、実体があるものを「これはこういうものだ」と定義するものです。しかし、言葉で全ての物事を言い表すことなどできないのですから、言葉と実体には、おのずと「ズレ」がおこるはずです。そのズレを放置していると、実体を離れて言葉だけが一人歩きして、その言葉に振り回されて実体を見失ってしまう可能性もあるのです。

例えば「AI」という言葉。「Artificial Intelligence」の略で、「人工知能」と訳されます。人工知能と聞けば、人間の持つ、みずから考える能力を人工的に作っていると解釈することに疑問はないと思いますが、今のところ人工知能にできることは、みずから考えるのではなく、膨大なデータベースを組み合わせて擬似的に人間的な表現を行なっているだけのものです。ですから、現在の技術に則った場合には「擬似知能」と呼んだ方が実体に近いかもしれません。「生成AI」に至っては「ジェネレータ」と呼ぶべきかもしれません。「擬似知能にが人間の仕事を奪う」「ジェネレータによってシンギュラリティが起こる」と言われると、随分とニュアンスが違ってきますね。

わたしたちが行なっている「デザイン」という仕事。「デザイン」と一言で済ませてしまうと、何をやっているのかさっぱりわからないでしょう。

「Design」という言葉は「計画を記号に表す」という意味のラテン語「Designare」を語源としていると言われています。わたしたちは、まさに「計画を記号に表す」仕事をしています。計画とは、プロモーションやマーケティングにおける「お客様の商品やサービスを広く認知していただく、買っていただくための方法」を考えること。記号とは、その方法によって形になったもの。例えば広告ビジュアルであったり、ロゴマークであったり、店頭POPであったり、Webサイトであったり、展示会ブースであったり。

「広告」という言葉については、誰もが見聞きしていて、わかっているような気がするかもしれませんが、少し誤解されているように思います。

「広告」を英訳すると「Advaertise」。宣伝や広告という意味ですが、語源は「注意を向ける」という意味の「adverto」というラテン語だそうです。どうしても日本語の「広告」だと、「広く告げる」と書くために、現代のWeb広告やSNSマーケティングのイメージとはズレを感じます。「宣伝」の方が近い気がしますが、「注意を向ける」ほどの正確さはないように思います。でも、「注意を向ける」では使いが手が悪いので、こちらは昔から使われている「アド」という言葉が良いのかもしれません(いまさらになってこの言葉を使うのは気恥ずかしさを覚えますが・笑)。

たかが言葉、されど言葉。これからもこのコラムでは、わたしたちの考えやわたしたちができることについて、できる限りていねいに、言葉を尽くして、さまざまな角度からお伝えしていきたいと思います。