人々はもう「推し活」にしかお金を使わない

女性がアニメを見ながら編み物をしている写真

「推し活」とは、タレントやキャラクターなど、自分が好きな誰かや何かに対して「好きだ」という気持ちを、応援や消費などによって表現する一連の活動を指します。2021年には流行語大賞にノミネートされていたそうです。

元々は、某アイドルグループのブームの中で、特に自分が応援したい特定の人物を「推し」と呼ぶ文化がファンの間で広がったことが「推しを応援する活動」=「推し活」の語源となっていますが、その後、アイドル以外のジャンルで転用されることで、非常に応用範囲の広い言葉になっていきました。

応用範囲が広くなったことで、「もしかして、あれもこれも推し活なんじゃない?」と、推し活の中にさまざまな活動が取り込まれるようになり、あらゆるジャンルの「熱心なファン」が「自分の推し」を認識するという流れも生まれてきています。

その「推し活」を後押ししているのは、あらゆるものの「商品化」です。

「推し活」を遡れば、数十年前のアイドル黎明期から同様のファン活動はありました。ブロマイド、ポスター、うちわなど、今に通じるグッズもありましたが、今やその数や種類は並大抵ではなく、缶バッジ、キーホルダー、タオル、下敷き、アクリルスタンド、ぬいぐるみ、ステッカー、フィギュアなどなど、次から次へと販売されるので、「すべてが揃う」ということがあり得ない状態になっているのです。

その昔、「あしたのジョー」という漫画が流行っていた時、登場人物である力石徹が劇中で死んだ時に、実際に葬式が行われたことは有名ですが、今であれば、力石のアクスタや缶バッジが飛ぶように売れていたことでしょう。

「機動戦士ガンダム」というアニメが放送されていた当時、「ガンプラ」と呼ばれたプラモデルが人気となりました。プラモデルは主に男の子が買っていたようですが、実は当時のガンダムファンは女性が多かったということを、本作の監督である富野由悠季が語っています。ガンダムは人気低迷のために打ち切りとなり、再放送で火がつくのですが、もし当時、ロボットのプラモデルではなく登場人物のキーホルダーや缶バッジが販売されていたら、人気は持続していたのかもしれません。

以上はアイドルやアニメといった、いわゆるオタク的な文化の流れの、典型的な「推し活」を指していますが、例えばカメラや車、飲食物などの「もの」であっても、今ではカプセルトイ、またの名を「ガチャガチャ」と呼ばれる玩具の世界が一大市場となり、世の中にあるあらゆるものがグッズ化され、ニッチな「推し活」の受け皿となっています。当社でも、バイク付きの社員が自身の好きなメーカーのヘルメットのフィギュアがカプセルトイで出るとか出ないとか、虫好きの社員が、精巧なスズメバチのフィギュアが全種揃ったとか揃わないとか、年甲斐もなく盛り上がっています(笑)。

さて、現代の日本人(だけではないようですが)はなぜ「推し活」に時間とお金をつぎ込んでしまうのでしょうか。

それは、世の中に「お金を注ぎ込む価値のあるもの」がなくなってしまったからだと思います。

昔であれば、家や車、テレビ、オーディオなど、憧れの高額商品があったわけですが、今の時代、それらを持つことが喜びであったり、ステータスであったり、自身のアイデンティティを形成するものであり得るでしょうか。持ち家や自家用車の文化は減少傾向にあり、テレビやオーディオは安価になった上に「なくても別にいい」ものになってしまっています。機能性とコスパだけを比較しての買い物に終始するあまり、「買い物に対する喜び」が低くなってきており、結果として、「推しのアクスタ1個」との差が縮まっているのではないでしょうか。

「モノ消費」から「コト消費」へ、または「トキ消費」へ……と、買ったモノ自体の価値ではなく、体験やその時間にこそ価値を見出す時代になったと言われることの多い昨今、人々が「推し活」にばかりお金を使うことは、必然なのかもしれません。

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