「コスパ」「タイパ」が叫ばれるのに、ヴィトンの商品はなぜ売れる?

夜景に浮かぶルイ・ヴィトンの建屋の写真

「価値」と「価格」は似て非なるもの、ということのようです。

「フォーブス世界長者番付・億万長者ランキング」によると、2023年の世界一の大富豪は、メタのマーク・ザッカーバーグ、ではなく、Googleのセルゲイ・ブリン、でもなく、ラリー・ペイジ、でもなく、マイクロソフト創業者のビル・ゲイツ、でもなく、アマゾン創業者のジェフ・ベゾス、でもなく、テスラ/Xのイーロン・マスク、でもなく、モエ・ヘネシー・ルイ・ヴィトンの会長兼CEOであるベルナール・アルノーなんだそうです。

数々のIT長者、人々の生活や社会を大きく変えるほどの影響力と存在感を持つ革新的な人物たちを抜いてトップに立ったのが、オーセンティックなハイ・ブランドたるヴィトンの代表というのは、なんとも意外な気がします。なにより、世の中に安いものが溢れかえり、ファッションアイテムはユニクロに代表される数々のファストファッションのメーカーでなんでも代用できる時代に、なぜヴィトンが売れているんでしょうか。

必要なものは易々と手に入り、多くの娯楽がタダもしくはタダ同然で消費できる現代において、特に若者は「費用対効果」という意識が薄まっているんだそうです。なるほど、最近の若者はモノへの執着があまりない、なんてことを聞くことがありますが、それは「モノ」自体への執着というよりも、「モノ」を評価する「価値」の基準が、刷新されたということかもしれません。

費用対効果を表す「コスパ」という言葉も若者を中心によく使われる表現ですから、「「費用対効果」という意識が薄まっている」というのは矛盾しているように感じるかもしれません。しかし同様に時間対効果を表す「タイパ」という言葉の使われ方、そしてそこにある「価値」の基準について考えてみると、実は矛盾していない、ということが、なんとなく見えてくる気がします。

つまり、そういった人たちが自分たちの「価値」の基準と照らし合わせた時に、価値が低いものは「コスパ」「タイパ」という意識が全面に現れ、価値が高いものに対しては引っ込んでしまう、ということです。

例えば、自分たちが大好きで、応援したいという存在である「推し」と呼ばれるアイドルや有名人、アニメキャラなど架空のキャラクターに対しては、時間もコストも惜しまず使います。音楽はYouTubeなどで無償で聴ける一方で、コンサート会場には開演の何時間も前から長蛇の列ができ、DVDやBlu-rayのソフトを買えばいつでも自由に観られる映像を、映画館に何度も足を運んで観る人もいます。

ヴィトンの財布やバッグにしても、材質や機能よりも、ヴィトンというブランドが持つ文化の厚み、世界観などがその「価値」を高めているのでしょう。わたしはハイ・ブランドに全く縁のない生活をしているのですが、一度だけヴィトン店内に入ったことがあります。実はヴィトンの店舗には「エスパス ルイ・ヴィトン」という無料のギャラリースペースがあり、2年ほど前、心斎橋のエスパス ルイ・ヴィトンでゲルハルト・リヒターの作品が展示されていた時に行ったことがあります。店舗の外観からはどこが入り口か全くわからないのですが、スタッフの方に案内されると、連れて行かれたのは店舗の外側。鏡面になったピカピカの壁の一部がタッチセンサーで開く自動ドアになっていて、奥にあるエレベーターに乗って、上階のギャラリーへと入れるようになっていました。

SFかスパイ映画のような入店体験と、小さいけれどシンプルで静謐な洗練されたギャラリーに触れたわたしにとって、ヴィトンの商品が今も世界中で愛されているトップブランドである、という事実は、特段驚くべきものではありませんでした。ハイ・ブランドの世界とかけ離れた生活をしているわたしですら、完全に魅了され、うっとりとしてしまったのですから。

安い、早い、便利であることでは、今や「価値」を生みだすことはできないのかもしれません。