インスタ、X、TikTok……SNSはもう限界かもしれない

 足元の危うい場所に立つ人物の周囲に見学者がいるようなAI生成のイラスト

最近、SNSへの風当たりがますます強くなっています。年齢制限が明確になり、特にXやInstagramの本場アメリカでは若者への精神的な悪影響が強く問題視されるようになりました。

わたしが初めてTwitterに触れたとき、それまで使っていたmixiではつながることのなかった共通の趣味(それも非常にマイナーな)の人たちと関わり合うことができたことが楽しかった記憶があります。こんなニッチな趣味が合う人が、こんなにも、そして身近にいるんだ、という喜び。そんな人たちと他愛のない話をしているのが楽しかったですし、わたしに娘が産まれた際に、こぞってお祝いのコメントを送ってくれた時のキャプチャ画像は、今も大事に残しています。

しかしそれも数年後には、炎上や誹謗中傷、妬み嫉みの吹き上がるスペースとなってしまいました。イーロン・マスクに買収されて以降、名前をXに変え、Twitterは「変わってしまった」と言われることがありますが、もっと以前から、とっくに変わってしまっていたのです。

転換点は、Twitterが「役に立つ」ことが、発見されてしまった時でしょう。

日本でユーザーが増え、影響力を持つようになったきっかけは東日本大震災だと言われていますが、災害時の情報共有に、速報性が強く、集合知の発揮されやすいTwitterは大変役立ちます。

また、日本国内でのユーザー数が多くなったことで、広告やプロモーションを行う場としても価値が高まり、企業がアカウントを作るケースが増え、Twitterをプロモーションに積極的に活用することが一般的になりました。

その結果、Twitterは「他愛のない話で交流する場所」ではなくなりました。

Twitterに求めるものが変わり、だれもが自己主張をするも、「役に立つ」情報ではないのでスルーされる。自己主張する人は相手にされず、相手にされたい人は「役に立つ」投稿を行おうとする。その結果、満たされない承認欲求が膨らんでいく……。

今の時代にYouTuberやVtuber、ライブ配信やオンラインサロンなどが支持されているのは、無秩序なSNSの空間と比べて、ひとりの才能のある代表者がいる限られた空間で、同じ目的意識で集まった人たち同士で認め合えることがとても心地よいからではないでしょうか。ユーザーごとカスタマイズされたタイムラインや、運営側がレコメンドした投稿が並ぶよりも、明確な文脈の中でコミュニケーションする方が、今の時代にはフィットするのかもしれません。その様子は、昔のネット掲示板の文化を思い起こさせます。

2000年代前半にWeb2.0という言葉がもてはやされ、情報の送り手と受け手が流動化することが尊ばれていた時代も今は昔。膨大に流れてくる情報の確かさも捉えられなくなってしまった今、SNSは限界を迎えているのかもしれません。