人類が火星に立つために必要なのは「マーケティング」?

火星に向かうロケットのイメージ写真

「アポロ計画の裏側では、超腕利きのマーケターが糸を引いており、資金調達やスポンサーとの交渉はもちろん、アポロ11号の月面着陸が失敗しても問題がないように、フェイク動画まで制作していた」

そんな設定で作られた、2024年公開のアメリカ映画「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」は、ロシアでは今も信じられている「アメリカが月面着陸したというのは嘘だ」という陰謀論を逆手に取ったような作品。アポロ計画が資金難に悩まされているところへ、腕利きの(ワケあり)女性マーケターが現れ、大口スポンサーの説得や企業広告の契約に奔走し、紆余曲折を経て、世界が注目する月面着陸の実況中継の実現に……というお話ですが、当たらずといえども遠からず、アメリカが月面着陸を成功させるには、マーケティングの成功が必要だった、という論旨で語られる「月をマーケティングする」という本があります。

この本を読んでいると、世界最大とも言えるイベントと広報活動の関わりとともに、広報活動の重要さ、そして限界を考えさせられます。

ご存知の通り、1960年代にアメリカが血眼になって月面着陸を目指したのは、当時冷戦真っ只中だったソビエト連邦に宇宙開発で先を越され、やがては宇宙からの危機に晒されることになるという恐怖から、宇宙開発に拍車がかかり、ケネディ大統領によって掲げられた「60年代の終わりまでに人類を月に送り込み、帰還させる」という目標があったからです。

しかし60年代といえば、アメリカはベトナム戦争にキューバ危機といった非常に深刻かつ大きな問題を抱えていた頃。宇宙開発のような突拍子もない、目の前の社会問題の解決とは程遠いことに莫大な予算を費やすことに国民の共感を得ることはたやすくなさそうです。そんな中でアメリカがアポロ計画を進めることができたのは、50年代から、雑誌での特集やディズニー制作によるテレビ番組など、メディアの影響力を大いに活用して、宇宙への関心を高めることがあらかじめできていたからだそうです。ソ連がスプートニク1号を飛ばした時点で、初の有人宇宙飛行の主人公となる7人の宇宙飛行士たち、人呼んで「マーキュリー・セブン」は、すでにお茶の間のヒーローとなっており、宇宙開発への支援者やスポンサー企業集めも、見事成し遂げることができたのです。

ところがアポロ計画は、初めは20回の打ち上げが行われる予定を17回に短縮され、アポロ17号の帰還をもって終了させられることになります。誰もが知る1969年のアポロ11号の人類初の月面着陸は、テレビ中継を通して世界中の人々が熱狂しましたし、大阪万博に展示された月の石は70年当時大変な話題となりました。しかし、月にたどり着いてしまったが故に、ケネディ大統領が掲げていた目的が達成され、大衆の興味が一気に薄れてしまったのです。NASAは「次は火星だ」と意気込んでいたのですが、国は関心を示しませんでした。

本書の帯には「人類が火星に行っていないのは、科学の敗北ではなくマーケティングの失敗なのだ」と書かれています。だとすれば、当時どのようなマーケティングを行っていれば、火星への人類到達は実現できたのでしょうか。わたしには想像もつきません。月であれば、わたしたちの生活にも密着しており、空を見上げれば目に入るのですから、人々の関心を保つことは容易だったのかもしれません。一方、火星は私たちが空を見上げても肉眼で見えるものではありません。それに、アポロ計画の多くは「人類初」尽くしで人々の興味が引きやすかったものの、多くの人にとっては火星と言われても距離の違いや星の条件の違い以外は、同じことの反復にしか見えない可能性が高いでしょう。初めての宇宙空間、初めての地球以外の天体、初めての地球以外の天体の物質……アポロ8号が月面周回中に撮った「地球の出」と呼ばれる有名な写真も、月という地球の衛星から撮影したが故に、地球が大きく美しく写っているのでしょうし。

マーケティングは、適切なタイミングで、適切な手段があれば効果を発揮するのかもしれませんが、いつでも、どんなことでもマーケティングが問題解決できるわけではないのでしょう。雑誌が影響力を持ち、広告が大衆の消費と直結し、テレビがカラー化していく劇的な進化の道を歩んでいた時代のマーケティングは、特に明快だったと思います。人それぞれの推しがあり、みんなが違うYouTubeチャンネルを観ている現代に、人類が火星の土を踏むためには、どんな手法があるのでしょうか。

ちなみに冒頭の写真はSpaceXがパブリック・ドメイン(著作者の許可なく誰もが自由に使える)で公開している写真です。さて、イーロン・マスクのマーケティング戦略は、見事実を結ぶのでしょうか。