低予算で非効率な日本映画が、アカデミー賞を獲得できた理由
今年のアカデミー賞で、宮崎駿監督作品「君たちはどう生きるか」が長編アニメーション賞を、山崎貴監督作品「ゴジラ-1.0」が視覚効果賞を受賞しました。
長編アニメーションでノミネートされた他の作品で言えば、「スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース」は、世界のアニメ史を大きく更新するような、驚くべき作品でした。視覚効果賞ノミネート作品の中では、「ザ・クリエイター 創造者」で描かれたリアリティある未来世界の描写には大変圧倒されました(監督は、ハリウッド版のゴジラを手掛けられたギャレス・エドワーズでしたね)。
それらアメリカ産の傑作と比べて、宮崎駿監督のアニメーションや国産のゴジラは、何がどう優れていたのでしょうか。
わたしは、「職人の手仕事」のようなところが評価されたような気がします。
アメリカには100年を超える映画産業の歴史があり、世界に先駆けてトーキー映画(サイレント映画ではない、音声がついた映画)を手掛け、グローバルに発信したことで、アメリカ人の喋り方や生活・文化が世界を乗っ取ったとまで言われていますが、それを実現したのは、徹底した分業制度です。つまり、大量生産するためには、効率化が必要なのです。「スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース」の場合、世界中の膨大な数のアニメーターが関わり、各国ごとに手分けして作っていたそうですが、なんと監督業ですら複数人の監督で役割分担していたというのですから、分業ここに極まれりという気がします(それが必要になるような映画だったので、他作品でも同じことが行われているわけではないと思いますが)。
一方、日本映画の場合は、もちろん分業はすれど、才能の長けた人物がその力を存分にふるい、そのこだわりでもって高いクオリティを実現しているところがあります。今回、宮崎監督は細かな点はなるべく他のスタッフに任せるようにしていたらしいですが、一つ一つのシーンに込められた、偏執的とも言えるようなアニメ表現へのこだわりを見ていると、それでも監督本人の比重の大きさを感じさせられます。
「ゴジラ-1.0」も、山崎監督自らがVFXも手がけていることが話題になりました。アメリカと比べて製作費がはるかに少ないことも理由の一つかもしれませんが、監督本人のこだわりや「やりたい」という気持ちもあったのでしょうし、だからこそ、今回の結果につながったのでしょう。
日本ではアニメを含む映像の業界は、労働環境や収入の問題が取り沙汰されていますので、手放しで美談にはできませんが、日本人の、時間を惜しまずとことん追求する「ものづくり」には、いくら効率化しても、いくらお金を使っても作り出せない、独特の魅力があるのだと思います。
「欧米と比べて日本は云々」と、何かにつけ言う人がいますが、他所は他所、うちはうち。数や量、大きさで勝負しても勝ち目がないのだから、「自分たちしかやらないこと」、「自分たちにしかできないこと」、または、「自分たちはこれしかできない」ということを、わき目も振らず一心不乱にやっていると、ある日顔を上げて周りを見たときに、トップランナーになっているのかもしれません。
今年のアカデミー賞の結果を見て、そんなことを思いました。