Mrs. GREEN APPLE「コロンブス」の問題の本質はなんだったのか
日本のロック・バンド、Mrs. GREEN APPLEの楽曲「コロンブス」のミュージック・ビデオ(MV)が2024年6月に公開されるや否や、一部で炎上騒ぎとなり、まもなく公開停止となりました。コカ・コーラとのタイアップでもあったはずが、本ビデオは未だ観ることができません。
わたしは視界の片隅で炎上の噂を目にしていた程度にとどまり、積極的に追っていなかったので、当該のビデオは本騒動の検証記事などに貼られたシーンの一部のキャプチャ画像でしか目にしたことがありません。ですから、今回の騒動の問題の本質については全くわからない前提となりますが、この騒動からひと月以上が経ち、すっかり騒ぎがおさまった現在、改めて思うことが3つあります。
1.楽曲に意図がなかったことが問題かもしれない
日本人の間では、政治や宗教についての話題は、日常生活の中でタブー視されます。その結果、政治についても宗教についても知識や情報、そして関心が著しく乏しいため、誤解をしてしまったり、古い理解のまま捉えてしまうことが往々にあります。くだんの楽曲の歌詞だけ見れば、物議を醸すような内容とは思えません。MVは、楽曲を作ったアーティストの意図通りに作られたわけではないと考えられますが、では、どのようなビデオであるべきだったのでしょうか。「差別的な内容にしたい、悲惨な歴史を肯定するものにしたいという意図はなかった」とアーティスト本人は語ったそうですが、ではどのような意図があったのでしょうか。彼らにとって、コロンブスは、ナポレオンは、ベートーベンは、どのような存在だったのでしょうか。反省し、ビデオを取り下げることで炎上の火は消されましたが、なんだかモヤモヤとしたものが燻っている気がしてなりません。
2.そもそも大げさだったのかもしれない
アメリカのヒーロー映画に「エターナルズ」という作品があります。この作品は、7000年以上昔から人類を守ってきたエターナルズという存在が、人類にあらゆる文明を与えてきた、という設定になっています。「2001年宇宙の旅」におけるモノリスや、「コロンブス」のMVの設定とつながるところがありますが、あらゆる文明を授けた挙句、「広島への原爆投下」が行われたことを機に、人類の愚かさに絶望するというくだりがあります。わたしはこのシーンを観た時に、あまりに無責任かつ横暴な表現だと思いました。いかにフィクションとはいえ、原爆は人類が、しかもアメリカ人が生み出したものであることを棚に上げて責任転嫁するような描かれ方をされていて、すっかり興醒めしてしまったのですが、上映当時も今も、批判的に捉える方がいたにも関わらず、特に炎上することはありませんでした(そんなにヒットしなかったからかもしれませんが)。その原爆の父と言われるオッペンハイマーについて描かれた映画「オッペンハイマー」が、当時アメリカで同時期に上映されていた「バービー」と混ぜ合わせてネット上でジョークが振り撒かれていたことが炎上していましたが、それとはあまり関係ないままオッペンハイマーの上映は、「なんとなく上映しづらい空気」みたいなものに押されて日本上映は1年近く延期されました。ちなみに7月7日現在、「Mrs. GREEN APPLE」で検索すると、これから始まるコンサートツアーのニュースがたくさん出てきます。MVの件は、もう大丈夫みたいです。
3.炎上マーケティングのようで炎上マーケティングでないのはもったいないかもしれない
結局何だったんだろう、と思った時、少なくともわたしが「Mrs. GREEN APPLE」というバンドがいて、その存在を知り、興味を持ったことは間違いありません。単にコカ・コーラとコラボするだけであれば、わたしの記憶には一切残らなかったでしょう。今はあまり行われていないことだと思いますが、これが「炎上マーケティングだった」と言われたとしたら、案外納得のいく結果とも思えます。しかし本件に関わるほとんどの方々にそのような意図を感じられないので、やはり「求めていない炎上を引き起こしてしまった」ということだったのでしょう。だとしたら、そもそも踏み込みの甘いプロモーションだったのではないかとも思えてきます。炎上マーケティングは推奨しませんが、アーティストであれば、多少の爪痕を残すことをためらってどうするんだという気もしてしまうのです。
「真面目にやる」のはいいけれど、「無難にやる」のが本当にいいのか。アーティストの「本気度」が試された一件だと思い、振り返ってみました。