ポリティカルコレクトネスは「訂正しながら前に進める」もの

虹色の傘を内側から撮った写真

1988年に発売され、熱狂的な支持を受けたテレビゲーム「ドラゴンクエストIII そして伝説へ…」(以下ドラクエIII)。今となってはその新しさがどの程度理解されるかわかりませんが、ロールプレイングゲーム(RPG)と呼ばれる、主人公が成長しながら長い時間をかけて徐々に成長していくというゲームで、敵と戦うために一緒に戦う仲間を、戦士や魔法使いなど、自由自在に入れ変えられるというシステムは大変画期的で、ゲームを一度クリアしても、仲間の組み合わせを変えることで何度でも楽しめるので、わたしも当時はゲーム好きの友人たちと、どの組み合わせが最強か、またはいかに最悪な組み合わせでゲームをクリアするかなど、随分と盛り上がった記憶があります。

そんなドラクエIIIのおまけのような機能として、各キャラクターの性別が選べるというものがありました。当時「ドラゴンボール」を連載し、飛ぶ鳥を落とす勢いだった漫画家の鳥山明が描き下ろした商品パッケージのビジュアルは、主人公を中心に、左右シンメトリーに各能力を持ったキャラクターが男女交互に並んでいるのですが、それは本作のそんな特徴を表現していました。

そんな性別を選べる機能が、ジェンダー平等やポリティカルコレクトネス(政治的正しさ)を問われる時代に物議を醸しています。

「ドラクエ3リメーク版の性別撤廃に、マスク氏も「非常識だ」 堀井氏動画リポストで“参戦”」

ドラクエIIIは、その人気の高さから、ゲーム機が新しくなるたびに、その機種に最適化されたバージョンにリメイクされてきました。わたしも数年前、スマホ版のドラクエIIIを懐かしさに駆られて楽しんだクチですが、最新バージョンでは「男」か「女」ではなく、「ルックスA」「ルックスB」と称することになったようです。そのことについて、ゲームデザイナーの堀井雄二氏と週刊少年ジャンプ編集長を務めていた鳥嶋和彦氏が東京ゲームショウ向けのインタビューで触れており、それに対してXのオーナーであるイーロン・マスクがXに以下のようにコメントを添えてリポストしたことが話題になりました。

「This is insane」

各社ニュースサイトはこれを「男女にしていったい誰が文句を言うんだろう。分からない」といったことを堀井氏が話していたことに対しての反発だとしていたり、のちに二人が出演するラジオ番組から「清教徒」を「性教育」に誤訳している点を指摘する声明を発表するなどしていますが、改めて元の引用動画を見ると、どうもボタンのかけ違いを起こしているように見えます。

元動画は、堀井氏と鳥嶋氏がアメリカのポリコレに対する問題意識について話しており、翻訳も「puritan」を「sex education」と誤訳しているとはいえ、論旨に大きな違いはありません。そしてイーロン・マスクは「This is insane」としか書いていないので、それが男女描写の問題かどうかはわかりません(「ridiculous country」の方が危ない気がしますが)。動画は切り抜きな上に間違いを含んだ英訳で読んでいるのですから、そもそもマスクが論旨を誤解している可能性もあります(彼は洗礼を受けたクリスチャンでもありますので、誤訳されなかった方が反感を買っていた可能性もありそうです)。

わたしもマスクがリポストしたこの部分の動画しか見ていないので、この件に関して何も書けることはないのですが、少なくとも、切り抜きから伝わる話の流れについては、問題なしと言うには引っかかるところが多いと感じるのも事実です。

男女という区別は、今や当たり前ではありません。それは、ジェンダー平等の思想が発展することで新たな性別が誕生したわけではなく、男女で切り分けられることで苦しんできた人がいたことに光が当てられる時代になったということです。

世界のどこに行っても、同じ思想ということはあり得ません。日本人には馴染みがないですが、宗教を生活の根幹としている人たちが、世界には大勢います。多様性が認められ、個人個人の思想が尊重される今の時代に、昔のようなグローバリズムは許されなくなっているのです。

「こんなバカな国とやるの、ほんとめんどくさい」という愚痴は、世界に発信されるYouTubeでやるべきではないでしょうし、「男女(に分けること)って誰が文句言うんだろう」という言葉は、「男女という区別に文句を言わない」とわかっている人たちの間だけですべき会話だと思います。

各社ニュース記事では、誤訳や男女の区別という個別の問題に矮小化されていますが、問題はそういった枝葉のことではなく、情報を発信するときに、それはどこの誰に向かっているのか、そこにはどんな人たちがいるのか、そのことが想像できていないことに根本的な問題があるように思います。

ポリティカルコレクトネスがなぜここまで厳しく言われるようになっているのか。それは、どんな情報でも、どれだけ囲われる環境で発信しても、今の時代は無限に拡散する可能性があるからでしょうし、それがしかもアメリカと長年にわたって仕事をしてきたお二人の公式の発言だとすれば、然るべき批判を受けるのが当たり前ではないでしょうか。

とはいえ、「だから堀井氏と鳥嶋氏はキャンセルされるべき」とは一切思いません。ポリティカルコレクトネスが厳しくなるほどに、誰もがその問題につまずく可能性から逃れられない状況です。昨日の常識が今の非常識になりかねない状況で、全てを把握し、理解し、行動できる人などいないのではないでしょうか。だからわたしたちは、日々お互いに訂正しながら前に進んでいくことが大切で、それが誰もが生きやすいダイバーシティな社会をみんなで作っていく、ということなのだと思います。

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