キャンギャル終了・「容姿端麗」削除が象徴するのは「多様性の尊重」
2024年11月初旬、東レ・ユニチカがキャンペーンガールを使った販促活動の終了を発表しました。繊維素材のアピールとして水着姿の女性を起用した企業のプロモーションは、アルコール飲料メーカーもすっかり姿を消していましたが、海外のアパレルメーカーがいわゆる「モデル体型」を問題視するようになってきている現代において、やはり時代に沿わなくなったと言わざるを得ないでしょう。
またその1ヶ月前に、宝塚音楽学校が来年度入学の募集要項の中で、「容姿端麗で、卒業後宝塚歌劇団生徒として舞台人に適する方」としていた応募資格を、「心身ともに健康で、卒業後宝塚歌劇団生として舞台人に適する方」へと変更したそうです。要するに「容姿端麗」という表現が変更されたということです。容姿端麗という言葉自体ずいぶん久しぶりに目にしましたが、こちらもまた時代錯誤の感が否めません。
時代を経るごとに強まっていくジェンダー意識と共に、個人の外見で価値をはかる「ルッキズム」への反発も、徐々に世の中に浸透してきているようです。日本はまだ出遅れている感はありますが、海外では履歴書に顔写真を使わないケースもあるそうですから、今後より一層、人の内面・本質で評価される社会が一般化していくのかもしれません。
一方で、「容姿端麗」を愛好する文化も、男女問わず熱烈であることも否定できません。アイドル、モデル、俳優の人気は当然の如く外見に大きく左右されます。しかしそのなかに現代的な傾向を見るとすれば、そこでは「多様性」がこれまで以上に含まれているということではないでしょうか。
本来、美しさとは主観的なものです。多くの人が醜いと感じるものを美しいと感じる人もいますし、その逆も然りです。
キャンペーンガールが標榜していた「美しい体型」は、不特定多数が考える、平均的な「美しい体型」に限られますし、宝塚音楽学校が標榜していた「容姿端麗」も、宝塚音楽学校の価値観における「容姿端麗」であるにすぎません。いわば「平均的」とも言えるこの美しさを今の社会で共有することは、果たして可能でしょうか。
もちろん、大多数の人たちの共感を集めることが企業のキャンペーンの目的でしょうし、劇場に集まる多くのファンが求めるものを提供するのが劇団員を育てる学校の役割ではあるでしょう。とは言え、価値観をいち企業・学校が定義することの危うさは、その影響力の強さを考えても、見過ごすことができない世の中となっているのです。だからこそ、東レ・ユニチカはキャンペーンガールを終了し、宝塚音楽学校は容姿端麗という表現をやめたのだと思います。
この状況は、企業が多数派に対して販促活動を行うにも、少数派を切り捨てることが許されない時代になったとも言えるでしょう。本コラムでも障害者差別解消法について何度か触れてきましたが、たとえ非効率であっても、社会の多様性に対応していくことがあらゆる面で求められるのが、2020年代なのだと感じます。
ルッキズムからの脱却の流れを、多様性への対応が求められる流れである、と捉えれば、タレントやモデルを起用していないあなたの会社の販促活動も、自分ごととして捉えられるのではないでしょうか。