「ポストtwitter探し」と「デジタルアートのNFT化」に共通する過ち
東日本大震災以降、特に日本ではユーザーを増やし続け、マスメディアにおいても大きな影響力を持つまでになったtwitterが、今、大きく揺らいでいます。
イーロン・マスクに買収されて以来、ある意味常に話題を提供し続けているtwitterですが、どれも芳しい話題とは言えません。対立、有料化、解雇、流出……炎上マーケティングの側面もあるのではと勘ぐりたくなるほど、社会の耳目を引いています。
twitterを熱心に使い続けている人たちほど、「ポストtwitter」探しに熱を上げています。一時期ポストtwitterとして注目を浴びていたMastodonに再びスポットが当たっている中、twitter共同創設者でもあったジャック・ドーシーによるBlueskyへの期待も高まっています。他にもGravityのようなサービスもあり、どのサービスがtwitterの後釜として勝ち残るのか、世間の反応を見ながらテスト的にログインしている様子です。
しかし、twitterの居心地が悪くなったからと言って、多くの人は「居心地のいいtwitter」を求めないような気がします。twitterは、技術や機能だけで言えば同じものを作ることは難しくありません。Mastodonなどのライバルサービスは、より便利にしたり、twitterで問題視されているところを改善し、より良いサービスを提供しようとしています。
それでもtwitterを超えることができないのは、twitterにはすでにコミュニティが出来上がってしまっているからです。SNSにとって何よりも大切な財産は、ユーザー同士が作り上げた膨大かつ複雑なつながりです。これは、一朝一夕で作ることはできませんし、一度壊してしまったら元に戻すことはできません。
「twitterがダメだからMastodonなど別のサービスに移る」と「デジタルアート作品に個別の価値を付加するためにNFTを導入する」は、共通する考え方のように思います。デジタルアート作品をNFT化するのは、その作品に元々価値があるからで、NFTによって価値が与えられるわけではありません。MastodonでもBlueskyでも、「twitterのそっくりさん」である以上は、twitterの代わりになることはできないんじゃないかと思うのです。twitterの代わりになるサービスとは、「twitterのようなサービス」ではなく「twitterのように多くの人たちに愛用されるサービス」であるべきではないか、と。
twitterに終わりが来るとしたら、それは、いまのtwitterのような「短文でフォロワー同士がやり取りする」SNSの終わりの時なのではないか、と思う今日この頃です。