「クワイエット・プレイス: DAY1」を観て思った「自分ごと」として考えること

ニューヨークの風景写真

先日、「クワイエット・プレイス: DAY1」という映画を観てきました。「クワイエット・プレイス」は、ある日突然地球に襲来した、盲目だが聴力が高度に発達している謎の生命体に、人類が侵略されるというホラー映画のシリーズで、過去に2作が発表されています。物音がすると猛スピードで飛びかかってくるモンスターを避けて、音を立てずに静かに暮らしている家族が、様々な危機を乗り越えていかに生き延びるか……観ているこちらも息を潜めて観入ってしまう緊張感のみなぎった見事な作品です。

スピンオフとなる本作は、それまで描かれてこなかった、謎の生命体が飛来した直後のニューヨークを舞台にした前日譚となっています。そして本作の主人公は、ルピタ・ニョンゴ演じる末期癌の患者。厭世的な気だるい表情で病の痛みに耐えて生きています。

そんな時に、突然飛来し、町中の人々に襲いかかる謎の生命体。先程まで無気力な顔をしていた彼女は、死の恐怖に怯えて逃げ惑います。長生きしたいわけじゃない、けど今殺されたくない、という複雑な心境が、阿鼻叫喚の大都会で起こる大混乱と重ね合わされます。

物語が進むうちに、彼女が詩人で、彼女の父親がジャズピアニストだったことがわかります。彼女が子どもの頃、いつも父が連れていってくれてたジャズクラブがあり、そこを訪れた時には隣のピザ屋でピザを食べるのが楽しみだったと語るのです。自分の命は短い。世界も絶望的。なら、最後にあのピザをもう一度食べたい。彼女は相棒の子猫と、通りがかりで連れ合うことになった心優しい男性と共に、ピザ屋を目指します。物語の最後、死を覚悟して店にひとり残った彼女は、店内に飾られていた、幼少期の彼女と父が写っている写真を見つけ、嬉しそうに眺めているシーンは、思わず目頭が熱くなってしまいました。

表向きはホラー映画で、「音を立てたら即死」というモンスターが、騒音にまみれたニューヨークで次々に襲いかかってくるとなれば、どんなとんでもないスラッシャー映画に仕上がっているのか……と期待する向きもあり、「思ってたのと違った」と感じた方もいたようでしたが、わたしは予想をとてもいい意味で裏切られた気分になりました。

わたしには高校進学を控えた中学生の娘がおり、小学生だった頃までは、休日の旅にいろんなところに連れて行き、一緒にいろんな体験をしてきました。この映画でルピタ・ニョンゴ演じる主人公が父親との思い出を話している間中ずっと、「わたしの娘は、人生最後の日にわたしのことを思い出してくれるだろうか。わたしは、人生の最後にもう一度体験したくなるような、愛おしい思い出を作ってあげられただろうか」と、娘と遊びに行ったいろんな記憶を思い出していたのです。こんなことを考えさせたり、思い出させてくれた時点で、わたしにとって本作は100点満点の作品となりました。

映画の面白さというのはいろんなタイプがありますから、一概にどんな映画が良い作品かという話はできません。しかし、もしその作品が誰かに強い共感を与え、作品で語られていることを「自分ごと」として考えてくれるほど気持ちを近づけてくれたとしたら、それはとても大切な作品になるのではないでしょうか。

マーケティングやプロモーション、そのための広告コピーやグラフィックデザインも同じだと思います。自分のことを一方的に語って、「他人ごと」だと思われているうちは、響かないし何も感じない。でも、そこに共感できるポイントがあれば、相手が「自分事」と感じてくれるかもしれません。

あなたの会社の商品・サービスを、相手の共感を呼び、「自分ごと」として考えてもらえるための施策を、わたしたちと一緒に考えてみませんか?

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